映画「アンナ・カレーニナ」を観て

原作はロシアのL・N・トルストイの代表作「アンナ・カレーニナ」(1877年発表)。

物語は19世紀の帝政ロシアが舞台の作品。


バレエや演劇をはじめ、今まで幾度も映画化されてきているお話しだが、今回の映画は

映像が美しいという評判が多かったので観てみることにした。

キャスティングはともかく(笑)、

とても豪華な舞台をみにきているような映像のし掛けはとてもおもしろかった。

物語をそのまま映像化するのでは今までの歴代の映画と変わらなかったと思う。

「舞台」という枠のある特殊な状況を取り入れることで、非日常感や幻想性がうまく表現されている。

また、よく見ていくと、舞台の枠の中で進むストーリーは貴族社会としての内容が多く、

舞台の枠の外に飛び出て進むストーリーは、貴族としてではない人間的な内容が多いように思われます。

対比を表現する手法としてもこの「舞台」という存在が利用されているようです。

そういえば以前こんなことを聞いたことがあります。

「日本では、役者さんは舞台の外へも飛び出す(歌舞伎の花道などが一例)ことでお客さんをストーリーの世界に巻き込む。

逆に、西洋では役者さんは基本的に舞台から出てこない。観客は舞台の枠の中で進むストーリーの世界をあくまで第三者として眺める。」

そういわれてみればこの映画での「舞台」の使い方はまさしく上記の西洋的価値観に当てはまります。

映画を見ながらふとこの言葉を思い出し、さらにこの映像構成に面白みを感じました。

ところでこの映画はイギリス映画なのだが、イギリスってこういうセットワークが好きなんでしょうか。

最近偶然みたいくつかのイギリス映画も似たようなカメラワークがあったような。

西洋のファンダジー要素や、ミニチュアハウス、絡繰箱、マリオネットなどの世界観が好きな方にオススメの映画。

本当に、セットを見ているだけでワクワクします。


さて、お話しの内容については名作文学なので、私から何もいうことはありません。

有名なロシア文学作品です。

そういえば原作を読んだのはけっこう昔なのだけれども、

今になって改めてお話しをみると、この文学作品はただの悲恋話ではないことがひしひしと感じられました。

主人公と対比するように描かれる地主リョーヴィンとキティのストーリーは主人公が不倫したタイミングで交差し全く正反対の結末を迎える。

このハッピーエンドを迎えるキャラクターたちがどういったシチュエーションや価値観のもとに幸せを掴むのかという部分が

この作品が発表された時代背景と宗教思想などを感じさせて、いろいろなことを考えてしまう。

レーニンが非常に愛読していたということも改めて納得。


そう。大人になって「イワンのばか」を再読した時の衝撃に、その感覚は少し似ていた。



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